|
|
|
男の赤ちゃんが生まれて、初めて迎えるお節句(五月五日の端午の節句)を、初節句といってお祝いします。
生まれたばかりの赤ちゃんが丈夫に、たくましい男性に成長するように、願いを込めてお祝いをする行事で、江戸時代から続いているならわしです。鯉のぼりは、江戸時代に町人階層から生まれた節句飾りです。鯉は清流はもちろん、池や沼でも生息することができる、非常に生命力の強い魚です。その鯉が急流をさかのぼり、竜門という滝を登ると竜になって天に登るという中国の伝説にちなみ(登竜門という言葉の由来)子供がどんな環境にも耐え、立派な人になるようにとの立身出世を願う飾りです。 |
|
|
|
|
|
|
|
節句品は、一般的に母方の実家から贈られるものですが、五月節句の場合は、双方の実家で話し合い、内飾り、鯉のぼりと分ける場合もあります。
また、最近では子どもの両親が我が子のために購入し立てるケースもあります。 |
|
|
|
|
●飾る場所や大きさ
飾る場所や広さに合わせてお選び下さい。鯉のぼりには、大きく分けて「ベランダ用」と「お庭用」とがあります。また、さまざまな種類・サイズがございますので、積極的にお店の人にご相談してくても良いでしょう。
●素材
鯉のぼりは一般的に、ナイロンかポリエステルのどちらかが使われています。両方とも雨の日に揚げてていて雨に濡れても色落ちはしませんが、ポリエステルの方が光に対する強さがはるかに強く、変色があまりありません。
注:ナイロン生地の場合、濡れたままの状態で重ねておくと色移りがありますので重ねたままにしないでください。
●デザイン
最近の鯉のぼりは、日本画調やオリジナルデザイン、キャラクター柄等さまざまな絵柄が販売されています。お子さまやお孫さまに、より心のこもったものをお選びください。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鯉のぼりの素材には大きく分けてポリエステル系とナイロン系があります。素材によって色褪せ、生地の劣化(脆化)が違いますがポリエステル繊維のもので5~8年程度はお使いになれます。ナイロン繊維のものは3年程度で色褪せ生地の劣化(脆化)がはじまる場合があります。
注:ご使用の状況・環境により耐用年数は異なります。 |
|
|
|
|
|
鯉のぼりを掲げるのは少し早めがよいでしょう。できればお節句の1ヶ月前から遅くとも1週間前には掲げるようにしたものです。 |
かたずけは5月中旬から下旬を目安にしましょう。また、お子様の成長を願い5歳から10歳位まで掲げましょう。
注:地方により旧暦の節句でお祝いする場合があります。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ポールの長さは、一般的に黒鯉または吹流しの長さの約2 倍が必要です。ポールは大きく分けてアルミ製のポールと丸太や竹ざおがあります。 アルミポールは鯉のぼりの販売店、丸太等は、材木店や工務店でお求め下さい。アルミ製のポールの場合、安価で施工が簡単ですが張綱(トラ)の必要なタイプと張綱が不要で鯉のぼりが絡みにくくメンテナンスの楽なタイプがあります。
注:鯉のぼりの実寸の長さは寸法表示に対して3%程度の誤差があります。 |
|
ポールのサイズ |
6号 |
8号 |
10号 |
12号 |
14号 |
16号 |
黒鯉の長さ |
3m |
4m |
5m |
6m |
7m |
8m |
|
|
|
|
吹流しは大きく分けて五色吹流しと柄物吹流しがあります。五色吹流しには魔よけの意味があります。柄物吹流しには、鯉が竜門の滝を登り終え竜になった姿が描かれたものや、その他にも地域によりさまざまなものが販売されております。また、吹流しには家紋などを入れる場合もあります。 |
|
|
|
|
|
名前のぼりは大正から(熊本日日新聞 昭和63年4月30日掲載) |
こいのぼりのさおのてっぺんに家紋と初節句の子供の名を染め抜いた矢旗を掲げるのは、熊本独自の風習だ。この旗は「名前のぼり」と呼ばれており、実は大正に入ってからの流行らしい。”仕掛け人”もわかっている。熊本市川尻の染物屋、財津真介さん(64)の先代、故豊次さんで、「明治も終わり、子供たちの登校姿も紋付き羽織から洋服に変わっていった。このままでは家紋も忘れられると始めたらしいですよ」と真介さん。
名前のぼりの下に竹で編んだバレン、矢車、そして吹き流し、男ゴイ(黒)、女ゴイ(赤)、稚ゴイを泳がせる。さおは杉の木で先端は枝葉を付けたままとする。「熊本市内だったら、据え付けなどの労賃も含め、全部で7万円前後から」と同市内の業者。
バレンは「滝の水しぶきを表したもの」といわれるが、バレンは馬簾と書いて、まといの飾りの意味だ。
こいのぼりを立てるのは婚家方で、武者絵などののぼりは里方や親類などが贈る。この絵のぼりには、贈り主、里方だったら里の家の家紋が染められている。絵のぼりの値段は1万円前後から。
しかし、最近では初節句にこいのぼりを家の庭に立てる家庭は減っているらしい。「マンションとか団地暮らしが多いでしょう。場所がないんですよ。それに親子三代仲良く同居なんて光景、最近、めっきり減ったし、高度成長期の40年代がピークで年々減っていくでしょうね」と熊本市の国府の丸総社長、丸本哲生さん(68)は寂しそうにもらす。
のぼりなどがずらりとはためいている風景は、天草や宇土半島などの漁村に多く見られるが、のぼりに武者絵などを染め抜くようになったのはごく後世のことらしい。丸山学編著の「熊本県民俗事典」には「昔は男の子がふだんに着る着物を親せきや知人が贈ったもので、それに”チ”をつけて長い竹さおに垂らして下げた」(宇土市網田)と報告されている。
神だなの前や床の間にカブトとか武者人形なども飾るが、天草では本村(本渡市)から人形をかごに担って売りに来ていた。エビス様がタイを抱いたものが必ず一つはどの家にも飾られていたといい、節句のお客にはおみやげに紅白のもちを持たせて帰した。このもちは塩あんで、小豆が入っていても決してつぶさなかったという。
端午の節句にこいのぼりなどを掲げる風習は中国などには見られない。なぜ、空高く杉や竹を立てるのか。こいのぼりなどを泳がせるほかに、神のよりしろという考えもあってのことらしい。宇土市や松橋、不知火町では、子供が生まれると、「梵天(ぼんてん)」と称して、正月前、モウソウダケを高々と立てるが、この風習とどこか共通したものを感じさせる。 |